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コートダジュールの空気感♪『ANTHONY ZIMMER』

JUGEMテーマ:映画
コートダジュールの光と空気感が感じられる映画は音を消して流しっぱなしにしたりします。

ここのところずーーっとずーーっと「プライスレス」だったのですが、
つい最近、ソフィー・マルソーとイヴァン・アタル主演の「アントニー・ジマー」を知ってこちらも気に入っています。
2005年の作品で、その後2010年に「ツーリスト」としてハリウッドでリメイクされました。
なので話の大筋は「ツーリスト」を観た人はお分かりかと思いますのでサスペンス感はどうしても差し引かれますが、こちらのほうがシチュエーションにリアル感があって面白いです。
TGVの中でのやり取りはいかにも狆粋なフランス会話瓩琶拔になるかも。

でも、なによりかにより、映像です!!
カンヌの海を泳いだり、カールトンのテラスからの眺め(というより風の感じ)、夜のカンヌのそぞろ歩き、夜のテラスでのキャンドルでのディナー、、、。
あの解放感と緊張感が8:2の空気感がリアルでとってもいい!です。

それに!カンヌのカールトンが映る前の車で海沿いの道を走るシーン、
あれってアンチーブ半島のJuan-Les-Pins側から岬へ向かう道ではないですか??
(グーグルアースでチェックすれば確認できると思うのですが、
そんなことしたら「グーグルアース・ジュアンレパンの旅」から帰ってこれなくなるので今はやりませんが。)

イヴァンがニースのネグレスコホテルの前でソフィーを見張るシーンでの青い、いやブルークレールの海の色たるや。
私が初めて見た時、ブルーが美しすぎて3時間くらい口がきけなかったあの色がそこにはあります。

最後のシーンの別荘からの海の眺めもダジュールらしくて涙がでそう。笑


それと、ソフィー・マルソーの歳をとらない肉体美と肌の美しさ、
そしてかわいらしさにもびっくりします。
ちゃんと大人の女でちゃんとシワもよるのにそこもキュート。
実はあんまり好きな女優さんではないけれど(ファンの方々すみません)
「ギャー!カワイイ!」って言ってしまう表情が随所にちりばめられています。
(ほんとにびっくりしますよ!)


 

 
                 





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Posted by abcnt - comments(1) - -

カーニバル対策 冬のダジュールの光はこの映画でチェック!

パリが舞台の映画は数々あれど、コートダジュールが舞台の映画はものすごく少ない。
多分、、、、コートダジュールにくると悩みもなくなって、楽しいことばっかりが起こるので
映画になりにくいんだと思う(笑)。
(実際、あの青い海と空、輝く太陽の元でぐじぐじ悩んでられる人がいたら
ある意味そうとうに精神力のある人物だと思う。)

それでも夏のコートダジュールが舞台の映画は何本かあってこのブログでも紹介していますね。
今回はニースのカーニバルを見に行く人のために、冬のダジュールが舞台の映画をご紹介します。

けっこう古いけど「輝ける女たちLe Heros De La Famille」です。
ニースのキャバレー「青いオウム」をめぐる人間模様のお話で、
カトリーヌ・ドヌープ、エマニュエル・べアールといった日本でもおなじみの女優さんほか
フランスの実力派俳優が競演しています。

フランス映画独特の抑揚、起こる出来事、それに対する反応もいかにもフランスちっく。
ストーリーもなかなかいい。
でもここで注目は冬のコートダジュールの光とみんなの温度調節、つまり着こなしです。
「2月のコートダジュールはそんなに寒くはないけど、それでも冬なのでそこそこ暖かい格好でね」
そういわれても微妙にわからないですよね(笑)。
でもこの映画を見るとなんとなくわかります。
「あ、こんなに光あふれてるんだ、、」とか「あ〜着てる人は着てるな〜でも薄着な人はこんなもんか」
など現地の事情とご自分の寒さへの耐性を考えて防寒対策をしてみてください。

あ゛〜2月のニースいいよねっ!
日本の2月とは別世界の快適さだよ☆

Posted by abcnt - comments(1) - -

また春が巡ってきます 

楽しいノエルが終わって、そっけなく新年が始まって、やることない静かで平和な日々が続く冬のコートダジュール。
でもそれはつかの間の静けさ。
もうすぐあれが始まる。

2月のニースのカーニヴァルはコートダジュール観光シーズンの序章である。
ありゃ、もうカーニバル?そうこうしてるうちにパック、そしてあっという間に夏になるのである。

2010のカーニバルのテーマは「青い地球の王様」ですって!
2月12日〜28日よ!
冬とは言え太陽さんさんの心地よさと春の予感に誘われて
ついついカフェのテラスにで日光浴をしてしまうので
日焼けしたいくない人は日焼け止め持参してください。
(何度もいうけど現地に日焼け止めありません(赤ちゃん用ならあるかな?))


結局、最終日に牴ν有瓩鯒海笋垢箸海蹐聾たことないけど、
日本の節分といい、2月は邪気や古いものを追い払い、
始まりの春を清らかに迎える準備をする狆化瓩侶遒覆鵑世蹐Δ諭


ニースのカーニバル公式サイト
http://www.nicecarnaval.com/

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ジュアン・レ・パンの旅本をつくりました♪

JUGEMテーマ:旅行

パリもいいけどやっぱりコートダジュール!
だってパリはきれいだけどのどがけっけっとなるんだもの。(乾燥した空気のせい?)
フランス語ができてパリが好きなら絶対コートダジュールに足を伸ばすべき!
そして逆説的ですが、フランス語ができない方はやはりコートダジュールにすべき。
ちょっと生活の場に入るとフランス語オンリーですが、主な観光地、町の中心部はむしろ英語圏ですから。

というわけで、コートダジュールの溺愛するとある町(ジュアン・レ・パンに決まってますけど)にどっぷり浸った数日間のダイアリーを本にしてみました。
購入も可能ですのでこの際お手元に小さなコートダジュールを携帯なさるのはいかがでしょうか(笑)?
撮影時期が9月なので、海や空、光が若干重くなんとなくレトロな仕上がりに、、、、。


            
                               

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2009年もダジュールLOVE

 2009年、明けましておめでとうございます。
いつも気にかけてこのブログを覘いていってくださる方々、ありがとうございます。
ちゃんと生きてますよ(笑)。

昨年3月の終了宣言するも、だらだら更新を続けていたのに
なんとなーく10月あたりからぱったり更新しなくなってしまったのは単たる気まぐれか
なんらかの意図があったのか、、、、?
答えは2009年に明らかになることでしょう。
、、、なんて、今はブログ世界以外の実生活があんがいせわしないのが実情です。

人生何がきっかけで走り始めたり、急に立ち止まったりするかわかったものじゃありませんが、
どこで何をしてようとも時は流れ、私達を選んだ未来へ運んでいきます。
たまにガツガツ泳いだり、かと思えば運ばれるままに波間に漂って、“そこ”にたどり着くまでを楽しみたいのが私のリズム。
なんたってブログ名が「コートダジュールの休息」なので
決してガムシャラにがんばったりはいたしません(笑)。
2009年もジュアンレパンを愛してやまない私の“求愛のつぶやき”に耳を傾けていただけたらうれしく思います。
本年もよろしくお願いいたします。

            青いよ〜

Posted by abcnt - comments(5) - -

シスターエマニュエル逝去

 ここのところ毎日金融危機の話題でいっぱいだったTF120時のニュース。
それが今夜の番組はある女性の死を伝えるニュースが半分以上を占めました。
彼女の名はマドレーヌ・サンカン。
シスター・エマニュエルとして人々に勇気と愛を体現してきた聖職者です。

フランス人らしいエスプリに飛んだ物言い、
シンプルで本質を突いたひとことは聞くものの魂にすっと語りかけます。

フランス国民の心のあばあちゃま、といった存在だった彼女がとうとう天に召されて、
いよいよ“私達は神から見捨てられた感”が漂います。
明日からまたニュースは金融と貧困と犯罪の話題で埋め尽くされるのですから。

フランスにはこんな表現があります。
NE PLUS SAVOIR à QUEL SAINT SE VOUER

「途方にくれる」といった嘆きの様子を表すときに使います。
直訳では「どの聖人にすがればいいのかもうわからない」という意味になります。
(フランスでは悩みによって聖人を選んで祈るそうです。)

世界的に先行きの不安な今、心の拠り所さえ失って
万事休すな私達の様子を表すのにぴったりですね(苦笑)。

彼女についてわかりやすい記事がありました(日本語)のでここに引用します。
読みずらい方はこちら

今年100歳になる彼女は、現在フランス南東部にある養老院で静かに余生を過ごしている。凛とした小さなシルエット、社会の不公平に怒れる高い声、そして慈しみにあふれた眼差し……。フランス人が最も尊敬する人物のひとり、シスター・エマニュエルの存在は、昨年ピエール神父を失ったフランス人の中に、いまだ灯る良心の象徴のように思える。今年1月31日、フランス政府はシスターに、レジョン・ドヌール勲章2等を捧げた。 (Interview par Miwa Matsuzaki)


1908年に裕福な家庭に生まれた彼女は、一緒に海水浴に出かけた父が海の彼方に消え、翌日遺体となって戻ってくるという悲劇に遭う。6歳の少女にとって、優しい父親の存在は幸福の全てだった。「幸福は永遠ではなく、不幸と背中合わせであることを悟りました。幸せな時は水の泡のように一瞬で消え去るもの。だからその一瞬がいかに奇跡的でかけがえのないものなのか、という思いが、私の人生の基になりました」と著書(「Mille et Un Bonheures」 2007年carnetsnord 出版)に記している。

修道院へ入り、シスター・エマニュエルを名乗ったのは23歳の時。シスターとして、トルコ・チュニジア・エジプトなどで文学を教えながら、生徒には弱き者への理解を説き、貧しい人々の援助活動に尽力。1971年62歳、教師生活終了の年に、エジプトのハンセン氏病患者施設での仕事をエジプト政府に申し出るが、政治的理由により不可能となる。そこで、カイロ郊外のスラムのことを知らされる。

雨が降れば足首までつかってしまう泥地、豚、巨大なネズミ……。生ゴミを含むあらゆる汚物・廃棄物にまみれた草木も生えない地。そんな想像を絶する世界に、生きている人々がいた。

「私を渦潮に巻き込むように、その光景は訴えてきました。こんな見捨てられた状態に、人間をほおって置くことは出来ない、と」(「Chiffoniére avec les chiffoniers」 1977年éditions ouvrières出版)

シスターはヤギ小屋だった納屋に住まいを決め、ひとり宗教も文化も言葉も異なる人々と最貧困の生活を共に始めた。そして、ゴミ拾いだけが日課だった文字さえ知らない子供たちに、読み書き、外にある世界のこと、花の美しさや海の広さを、一つひとつ根気よく教えてゆく。

イスラム圏のスラムに一人飛び込んだ、孤高のカトリック・シスターの活動は、だんだんと人々に知られるようになり、9年後には福祉協会asmae(今日のシスター・エマニュエル協会)を設立。寄付や現地政府の援助も得られるようになり、今日その地区には学校も病院も建ち、電気も水道も使えるようになった。


最初の印象についてお聞かせください。怖れや不安はなかったですか。

初めてスラムに着いた時の私の印象は悲惨なものでした。腐ったトマトを拾って食べる子供に、母親が「この子は慣れていますから」と……。その光景、悪臭、衛生状態、それはとても大きな衝撃でした。でも、彼らがこの現状に耐えられるなら私も耐えられるはずだ、と。今日、私はあの場所に、また、そこで彼ら彼女たちと過ごした日々にとても深い愛情を感じています。


「貧しきものに福音を学んだ(Les pauvres m’ont évangérisé)」と著書に記されていますが、スラムのような非常に厳しい状況にある人々から、生きる喜びや楽しさを教えられるというのは、どういうことでしょうか。

貧しい人々が、人に信じる心を思い出させ、善に向かわせるのを私はこの目で見ました。ほとんど何も持たない彼らは、それだけ心が広い。人は物を持ちすぎると、持たない人の気持ちが分からなくなります。私はあの地で、喜びと満足感を彼らと分かち合いました。それに彼らにはユーモアがあります。過酷な状況にあるからこそ、物事の良い面を捉えることが出来る。そうしたほうがきっと、苦しみに耐えられるからでしょう。


周囲の心配に押され、85歳にしてやむなくフランスへ戻るまで、シスターはそこに暮らし彼らの苦しみを分かち合った。22年もの間だ。帰国後、今度こそ隠居し静寂の中で祈りに全てを捧げようと思っていた彼女は、ある日若いホームレスの死に直面する。

「『こんなことを放って置いて良いのか、自分は温かなベッドにいて、若者がこんな死に方をしているのを、エマニュエル!』と怒りがこみ上げた」(「Chiffonière avec les chiffoniers」1977年éditions ouvriéres出版) フランスには、カイロのスラムとはまた違う、孤独という不幸があった。結局、全く休むことなくフランスでも貧困層の救済に尽力し続ける。


他人を愛するとはどういうことでしょうか。愛情は相手に伝わるものですか。

私は、愛とは与えれば返ってくるものだと思っています。ですから、世界中の誰もが愛される対象になるはずです。先日、極悪犯罪人の弁護士が私に話してくれました。

「今年も大量のクリスマスカードを受け取ったが、手元には一枚しか残さなかった。『あなたは、私の中にまだ善があることを見つけてくれた世界でたったひとりの人です』 と記された、弁護をした犯人からのものです」

愛情を伝えるには、まずその人の瞳を見つめて愛おしさを伝え、その人の話を意見せずにきちんと聞くことです。その人がどんな状況下にあっても、あなたは無用の存在ではないと感じてもらうことです。


お墓には、《Elle a vécu.(彼女は生きた・体験した)》と刻印して欲しいと著書に記されていますが、vivre(vécuの原動詞)とはどういう意味ですか。もう一度生きるなら、どんな人生を選びますか。

私にとって、vivreとは愛することです。愛は、全てに喜びをもたらします。ルルドのベルナデット(*フランス南東部lourdeで奇跡のマリアの顕現を受け、死後列聖された少女)の言葉にあるように、《il suffit d’Aimer.(愛すれば十分)》なのです。もう一度人生が始まるなら、私はまたあのスラムで生きたい。彼らと苦を分かち合い、彼らを愛したあの年月は、私の人生で最も美しい日々でした。


「私が人生で好きなのは “真実であるもの全て” 。
嫌いなことは “偽善” です」

「苦しむ人々と苦を共にし、愛する」という真実を、生涯貫き通す彼女のこの言葉は「あなたは“本当” を生きているか?」という問いかけのようだ。

子供たちは、シスターに連れられ初めてスラムを出た。生まれて初めて花を摘んだ子供は、小さな手にぎゅっと花を握りしめて宝物のように胸に引き寄せた。ナイル川に行った川も海も見たことがない子供は、「海だ、海だ!」と眼を輝かせ、両手を挙げてまっしぐらに駆け出した。

ゴミ溜めしか知らなかった子供たちにとって、世界は、どれほど美しく感じられたことだろう。子供たちの輝く表情を想像する。ゴミ溜め場から外の未来に子供たちを連れ出すことに、22年を捧げたシスターの愛の深さを想像する。ひとりの人間が出来ることは、たとえ世界を変えることが出来なくても、こんなにも尊い。

シスター・エマニュエル(Soeur Emmanuelle)
1908年11月16日 ブリュッセルの裕福な家庭に生まれる。(母・ベルギー人、父・フランス人)
6歳の時、一緒に海水浴をしていた父が溺死。
1931年(23歳) 哲学・宗教学の学生としてパリやロンドンを旅行し、ダンスをたしなみ劇場にもよく足を運ぶ華やかな青春時代を送る。しかし、何か満たされないのは「自分のためだけに生きているからではないか」と考えぬいた末、修道会への入信を決意する。
1931〜1970年(23−62歳) シスターとして、トルコ、チュニジア、エジプトで文学を教えながら、現地の恵まれない人々の援助活動に奉仕。
1971年〜(63歳) 教師終了の年に単身カイロ近郊のスラムに入り、社会の最下層に追いやられた人々と共に暮らす。ゴミの収集以外に生きる術を持たない子供たちの教育、医療環境、衛生面の向上に尽力。
1980年(72歳) シスターの活動にエジプトや欧州の政府などが注目し始め、サダト大統領夫人の名を冠した施設(病院・産院・幼稚園・作業所・社交所)がスラムに開設。
1980年(72歳) シスターの活動にエジプトや欧州の政府などが注目し始め、サダト大統領夫人の名を冠した施設(病院・産院・幼稚園・作業所・社交所)がスラムに開設。
福祉協会 asmae(les amis de soeur Emmanuelle)発足。
フランス国家の功労賞( l’Ordre du Mérite )受賞。
1984年 カイロ近郊のスラムの学校の生徒数が400人を超える。
1986年〜 asmaeがエジプトだけでなくスーダン、リビア、セネガル、フィリピン、ハイチなどに活動の場を拡大。
1991年(83歳) カイロ近郊スラムでの暮らし20年目の功績から、エジプト国籍をムバラク大統領夫人より授与。
1993年(85歳) 高齢のため健康を懸念する周囲の要請を受け、エジプトを後にしフランスへ帰国。
ベルギー・レオポルド勲賞(l’Ordre de Léopold )受賞。
1995年(87歳) 医学功労金賞(Médaille d’Or de l’Académie de Médecine)受賞。
レジョン・ドヌール勲章5等(Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
1998〜2003年 asmaeが南仏・フレジュスでホームレスの支援活動。
2003年(95歳) レジオン・ドヌール勲章3等(Commandeur de la Légion d’Honneur)受賞。
2006年 asmaeが、パリ郊外・ボヴィニーに貧困シングルマザーの受入センターを開設
2008年1月(99歳)レジオン・ドヌール勲章2等(Grand-Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
《2007年12月発行「Journal de Dimanche」紙の著名人人気リストでは、1位ヤニック・ノア(歌手で元テニス選手)、2位ジダン(元サッカー選手)、3位ミミ・マティ(女優)、4位シスター・エマニュエル》

 

asmae - Association Soeur Emmanuelle
(シスター・エマニュエル協会)

シスター・エマニュエルが1980年に設立した団体はasmaeという。現在フランスと海外7カ国(フィリピン・エジプト・インド・スーダン・マダガスカル・レバノン・ブルキナファソ)で活動。貧困層の子供を主な対象とし、教育と医療の向上を目的としている。シスターの「人にはそれぞれ“信条”という秘密の花園がある。それは聖なるものであり、私が干渉することではない」という意志から、設立者がカトリックの修道女ながら非宗教団体である。現在asmae代表を務めるトゥラオ・ギュイエン氏に伺った。


代表に就任されたいきさつは。

私は11歳の時にベトナムからフランスへ来ました。エンジニアとして会社勤務をし、定年退職した頃にシスターととある夕食会で出会ったことが、この協会のボランティア参加のきっかけでした。当時も今も、「恵まれない子供たちのために何かを」という気持ちがモチベーションであり、協会はシスターが始めたさまざまな活動を存続・拡大させていく任務を負っています。

今まではシスターの知名度で多くの寄付が集まりましたが、今後は活動の質の向上と共に、私たち自身でasmae の広報活動をしていかなくてはいけません。

asmaeの活動の対象はなぜ子供なのですか。

貧困や社会の不公平の一番の被害者が子供だからです。また、子供の教育や医療なしに、その国の未来の担い手は存在しないからです。

現地ではどのような活動をされていますか。

あくまでも、現地に生きる彼ら自身の力で状況を改善していってもらうことが目的なので、私たちの役割は最初のきっかけ作りです。「寄付金で何かをあげる」というのではなく、現地でのパートナーと生活を共にしながら協力し、状況を分析しながら対策を考え、実行の後押しをする。そのために必要な施設を建てることはもちろんありますが、活動が軌道に乗ったら彼らに任せ、私たちは撤収します。

asmaeでは、年間150人もの若者をボランティアとして海外の現場へ送っているそうですが、ボランティアになる資格は。

動機や意志、健康については大変厳しい選考を行いますが、特別な専門スキルは問いません。誰にでも何か出来ることはあります。現場から戻ってくる彼らの多くは、何かを見つけたような、ボランティアに行く前とは異なる表情になっている。誰かのために手を差し伸べることは、自分自身のためにも何かをするのかもしれません。

収入はどのように得ていますか。

2006年の例では、62%が個人からの寄付(内13%が遺産贈与)、17%が企業や財団からの寄付、10%が公共援助です。シスターのメディアでの露出度が下がると、寄付額は低下しました。

個人の気持ちで世界を変えられると信じますか。

この世界にはあまりに多くの不公平があり、それを変えようとするのはむなしいことに思えます。でも、大きな変化も最初は必ずひとり、またはとても少数の人間が起こす行動から始まって行くのも事実です。

ひとりの人間は、大きな海の一滴のしずくでしかなくても、大洋はしずくの集まりなのではないでしょうか。

 

シスター・エマニュエル協会

  • 設立:1980年
  • 設立者:シスター・エマニュエル
  • 活動目的:貧困・孤立状況にある子供の支援に対する教育と医療環境の改善
  • 活動手段:財政面援助、専門分野機能の改善支援、現地での生活支援活動、現地事業(学校など)の後援
  • 活動範囲:フランスを含む世界8カ国
  • ボランティア数:74000人
  • 年間予算:約3600万ユーロ(2006年)

寄付・ボランティア参加などの問い合わせ先
Asmae-Association Soeur Emmanuelle
26, bd de Strasbourg 75010 Paris
TEL :
01 44 52 11 90
www.asmae.fr

また、本もありましたので興味のある方はこちらもどうぞ↓。リンクの表示がヘンですが、、、
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4789606171?ie=UTF8&tag=abcnt-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4789606171">裸足の老修道女</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcnt-22&l=as2&o=9&a=4789606171" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />


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秋のコートダジュールで思うこと

2008年の秋は2007年よりもずいぶん涼しいらしく、
10月半ばの現在でもうすでにマフラーや皮ジャンの姿を見かけます。
世界中がもう秋なのかと思っていたけれど(笑)、
コートダジュールではまだまだ「夏の終わり」です。

どのくらい「夏の終わり」かというとこのくらいです↓。
1

みんな水着でビーチにおりますが、
この光の薄さ、ビーチのガラガラ加減、、これは地元民にとっては完全に“終わった”状態。
季節労働者たちは冬のスキーリゾートへ移動して次の仕事を探すか、
失業保険でどこにバカンスに行こうかと気もそぞろ。
地元民にとっては刺激のない毎日が続く、越冬期(オフシーズン)へのプレリュードであります。

2 

だいぶとろ〜んとしてるやさしい太陽。
日本人の女性が抵抗なく日光浴できる限界位の紫外線量がこの時期だと思います。
10月ならホテルもレストランもまだどこも営業しているし、宿泊料金が安くなり、
レストランも混み過ぎることがないので観光には非常にお得なシーズン。
(この時期を過ぎると7割くらいレストランがしまり、ホテルも小さいところは閉まる)

4

ただしもう海水はそんなに暖かくないです。泳げなくはないのですが。
「西洋人は基礎体温が高い」そう信じて疑わない私。
その確信は高まる一方です、、、、。

3

秋、、、。
静かに海のそばで過ごすひと時、、、。
これが日常のひとコマである贅沢。

なのにお金はまったくかかってないところがスゴイです。

ジュアン・レ・パンでの庶民の生活を体験すると、
お金で買えるものへの評価が低くなっていきます。
高価なものにはそれなりの価値がある、安価なものにもそれなりの価値がある。

でも買えないけれど無料なものもあるんだなーってジュアンに来て気がつきました。
すばらしい価値のあるもので、なのに誰にでも無料で与えられているものが。
それを与えられ続けると、なにかをどこかに返さずにはいられない、、。
困った人がいればできる範囲の親切をすっとできる人が多いのも納得です。

豊かな気持ちが満ちてくるダジュールライフ。
あんなに不便なのに豊かさに溢れてるなんて、トーキョーと真逆ですね(笑)。

“便利さ“と“心豊かな生活”の両立はなかなかムズカシイと思う秋の夕暮れ。



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薬にまつわるミステリー

 どの国にも伝統的に“効く!”とされる市販のお薬がある。

日本でいえばお腹には正露丸、頭痛にバファリン、胃もたれにはパンシロン。
もっと言えば擦り傷にはマキロンだし虫刺されにはやっぱりキンカン。
長い間その国で愛され、それなりに効き目があり、
今まで事故(副作用など)もないからベストセラーになっているさまざまな民間薬。。。

海外に行ってみて不思議なことに気がついた。

いざって時、人は自分の国で慣れ親しんだ薬にしか心を開かないということに。

普段全幅の信頼を寄せている自国の薬だからこそ、
外国人が苦しんでいたら「ホレ、これを飲め」と親切にも薦めるわけだけど、
そんなふうに軽々しく「飲め」って言われるとますます効かない気がしてくる。
第一体が弱ってる時なので、異物に対してものすごく警戒心が働く。
異物、つまり“外国のわけのわからない薬”である。

私はあんなにフランス大好きなのに、こと薬となると徹底的に疑ってかかる(笑)。
民間薬なんて効果も知れてる代わりに副作用だってたかが知れてると思うけど、
それでも「異国の薬を飲む位ならもうしばらく自力で苦しむ」方を選んだりもする。
口を真一文に硬く結んで「断じて飲まぬ」とその頑なさはまるで武士のよう、、、。

本格的な病気になったらもちろん医者のところに行くのが一番、これはわかる。

一方おばあちゃんの知恵袋的な民間療法は効果も薄いが体に安心、
そして不思議な効果も期待できるのでおもしろ半分にトライもできる。

でもなぜか市販の民間薬が苦手。
すごーく不思議ですが、
私が飲めと薦める日本の薬も相手(フランス人)は嫌がるからどこの国の人も同じなのでしょうね。

以前日本にいるフランス人にアスピリンがないか尋ねられ、
バファリンをあげたのにちっとも飲まず、
何週間もかけて本土から送ってもらったアスピリンを飲んでた。

きっと幼少のころからの脳への刷り込みで、
その薬のパッケージやニオイをかいだだけで、症状の4割くらい治ってしまうのだと思います。
だから、その国で育った人には4割増しで“効く!”といえます。
ホントに病は気からですね。


ここからはメモ
私が旅行に絶対携帯し毎回一度も使わない市販の薬は
バファリン、正露丸(絶対糖衣錠)、パンシロン、オロナイン

絶対携帯してかつ、よく利用する薬は
改源、百毒下し、キンカン、バンテリン
キューピーコーワゴールド

持っていけるだけ持っていく便利アイテムは
貼るホッカイロミニ、コンタクト用目薬、いろんな効能の目薬






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夏のおもひで

すがすがしい朝、、、。
といってもほぼ毎日清々しく、爽やかで美しい朝なのがコートダジュールのいいところ。

この日もきらめく秋の光に誘われるままに
キャップドアンチーブ(アンチーブ岬)をジュアンレパン側からお散歩。


平和な朝


奥に見える白いヴィラは「ヴィラ ドウジュルドゥイ」(カタカナで書くとすごいものがありますね
“明日の館”とでも申しましょうか?
アールデコ全盛期のおしゃれなヴィラで
コートダジュール建築のビジュアル本にもよく登場し、
アンチーブ岬のシンボル的なヴィラのひとつでもあります。

このヴィラの前の道はかなり狭いので行きかう車に気をつけながら進むと
ナポレオン美術館の手前に夏だけオープンするビーチレストランがあります。
道路からは絶対に見えないところにあるので穴場的存在。


今日はそこのビーチの値段メモです。
マトラ(マットレス)といってもビーチチェアーのことなのでご安心を)に
パラソルで1日20ユーロ。
当時は3300円、今日なら2800円位でしょうか?

値段

映画より高い、ランチより高い、、、etc?
いろんな価値観はありましょうが、私は高くないと思います。
なんたってプライベートビーチは総合エンターテイメント。
寝て泳いで本読んで雑誌眺めて、考え事したりしなかったり、
おいしいもの食べたり、男性なら水着の女性を眺める楽しみも。
それになにより出会いがある。
男女の、、というより同じところが好きで集まった人間同士の出会いがおもしろい。
もちろんひとりになりたい時はそっとしてもらえるし。

コートダジュールのプライベートビーチは気軽でおしゃれ。
気取りすぎることも逆に磯の香りがしすぎるようなこともない。
もうどこも終了してしまったけど、来年4月ごろまた会おう!




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女王対決

いまさらなんですが、マスカラについて。

マスカラといえばランコムと刷り込まれて
長いことランコム一筋だったのが、
気がつけばすっかりヘレナ派に。

私はまつげが歩いてくるようなのが好きなので、
長く、濃いのはもちろん、
アンチエイジング的にもカール力ははずせない。
そしてフツーの日でもいつでもなんとなくウォータープルーフ。

そんな三位(四位?)一体のマスカラはありそうで意外と少ない。
ボリュームを選べば長さが、とかカール力を選べばボリュームが、、など
1本でこと足りるマスカラはなかなかなくていつも2種、3種使いの日々。

そんな面倒くさい毎日におさらばできたのは
ヘレナルビンシュタインのLASH QUEEN ウォータープルーフに出会ったから!
もう望む機能がすべてそろってる上に、
ボリューム具合もぱきっと上がるカール具合もすべて完璧、すべて好き。
マスカラが1本で済むとポーチの中もすっきりするし、
メイク時間も大幅短縮で「メイクハック」を目指せます。

その後ボディが豹柄のLASH QUEEN FELINE BLACKESがでて
もっとしなやかで華やかなまつげになるのかと思ったのだけど、
どーもまつげが下がる。
カール力とキープ力が少ないんですね。
それは私にとっては致命的な欠点。
普通のラッシュクイーンのあとに
毛先に伸びとつやを加える目的で
使えばなかなかいいんだけど、
単品としてのチカラがなさすぎでした。

パッケージも名前も激似(つか同じ)だから間違えちゃだめ!

ちなみにヘレナのウォンテッドグロスも激・激・激いいですよね〜。
トランスペアレントなレッドとオレンジは特に秀逸。
塗るだけで3〜4歳は若返る(笑)。
ヘレナのデミ・ムーアがミューズのシリーズはどれもこれも
オーバー30にはうれしい「仕込み」の玉手箱。
コラゲニストリップズームもいい!(けど、、これに関しては今は美禅でいいかな(笑))


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