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ジュアン・レ・パンの旅本をつくりました♪

JUGEMテーマ:旅行

パリもいいけどやっぱりコートダジュール!
だってパリはきれいだけどのどがけっけっとなるんだもの。(乾燥した空気のせい?)
フランス語ができてパリが好きなら絶対コートダジュールに足を伸ばすべき!
そして逆説的ですが、フランス語ができない方はやはりコートダジュールにすべき。
ちょっと生活の場に入るとフランス語オンリーですが、主な観光地、町の中心部はむしろ英語圏ですから。

というわけで、コートダジュールの溺愛するとある町(ジュアン・レ・パンに決まってますけど)にどっぷり浸った数日間のダイアリーを本にしてみました。
購入も可能ですのでこの際お手元に小さなコートダジュールを携帯なさるのはいかがでしょうか(笑)?
撮影時期が9月なので、海や空、光が若干重くなんとなくレトロな仕上がりに、、、、。


            
                               

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2009年もダジュールLOVE

 2009年、明けましておめでとうございます。
いつも気にかけてこのブログを覘いていってくださる方々、ありがとうございます。
ちゃんと生きてますよ(笑)。

昨年3月の終了宣言するも、だらだら更新を続けていたのに
なんとなーく10月あたりからぱったり更新しなくなってしまったのは単たる気まぐれか
なんらかの意図があったのか、、、、?
答えは2009年に明らかになることでしょう。
、、、なんて、今はブログ世界以外の実生活があんがいせわしないのが実情です。

人生何がきっかけで走り始めたり、急に立ち止まったりするかわかったものじゃありませんが、
どこで何をしてようとも時は流れ、私達を選んだ未来へ運んでいきます。
たまにガツガツ泳いだり、かと思えば運ばれるままに波間に漂って、“そこ”にたどり着くまでを楽しみたいのが私のリズム。
なんたってブログ名が「コートダジュールの休息」なので
決してガムシャラにがんばったりはいたしません(笑)。
2009年もジュアンレパンを愛してやまない私の“求愛のつぶやき”に耳を傾けていただけたらうれしく思います。
本年もよろしくお願いいたします。

            青いよ〜

Posted by abcnt - comments(5) - -

シスターエマニュエル逝去

 ここのところ毎日金融危機の話題でいっぱいだったTF120時のニュース。
それが今夜の番組はある女性の死を伝えるニュースが半分以上を占めました。
彼女の名はマドレーヌ・サンカン。
シスター・エマニュエルとして人々に勇気と愛を体現してきた聖職者です。

フランス人らしいエスプリに飛んだ物言い、
シンプルで本質を突いたひとことは聞くものの魂にすっと語りかけます。

フランス国民の心のあばあちゃま、といった存在だった彼女がとうとう天に召されて、
いよいよ“私達は神から見捨てられた感”が漂います。
明日からまたニュースは金融と貧困と犯罪の話題で埋め尽くされるのですから。

フランスにはこんな表現があります。
NE PLUS SAVOIR à QUEL SAINT SE VOUER

「途方にくれる」といった嘆きの様子を表すときに使います。
直訳では「どの聖人にすがればいいのかもうわからない」という意味になります。
(フランスでは悩みによって聖人を選んで祈るそうです。)

世界的に先行きの不安な今、心の拠り所さえ失って
万事休すな私達の様子を表すのにぴったりですね(苦笑)。

彼女についてわかりやすい記事がありました(日本語)のでここに引用します。
読みずらい方はこちら

今年100歳になる彼女は、現在フランス南東部にある養老院で静かに余生を過ごしている。凛とした小さなシルエット、社会の不公平に怒れる高い声、そして慈しみにあふれた眼差し……。フランス人が最も尊敬する人物のひとり、シスター・エマニュエルの存在は、昨年ピエール神父を失ったフランス人の中に、いまだ灯る良心の象徴のように思える。今年1月31日、フランス政府はシスターに、レジョン・ドヌール勲章2等を捧げた。 (Interview par Miwa Matsuzaki)


1908年に裕福な家庭に生まれた彼女は、一緒に海水浴に出かけた父が海の彼方に消え、翌日遺体となって戻ってくるという悲劇に遭う。6歳の少女にとって、優しい父親の存在は幸福の全てだった。「幸福は永遠ではなく、不幸と背中合わせであることを悟りました。幸せな時は水の泡のように一瞬で消え去るもの。だからその一瞬がいかに奇跡的でかけがえのないものなのか、という思いが、私の人生の基になりました」と著書(「Mille et Un Bonheures」 2007年carnetsnord 出版)に記している。

修道院へ入り、シスター・エマニュエルを名乗ったのは23歳の時。シスターとして、トルコ・チュニジア・エジプトなどで文学を教えながら、生徒には弱き者への理解を説き、貧しい人々の援助活動に尽力。1971年62歳、教師生活終了の年に、エジプトのハンセン氏病患者施設での仕事をエジプト政府に申し出るが、政治的理由により不可能となる。そこで、カイロ郊外のスラムのことを知らされる。

雨が降れば足首までつかってしまう泥地、豚、巨大なネズミ……。生ゴミを含むあらゆる汚物・廃棄物にまみれた草木も生えない地。そんな想像を絶する世界に、生きている人々がいた。

「私を渦潮に巻き込むように、その光景は訴えてきました。こんな見捨てられた状態に、人間をほおって置くことは出来ない、と」(「Chiffoniére avec les chiffoniers」 1977年éditions ouvrières出版)

シスターはヤギ小屋だった納屋に住まいを決め、ひとり宗教も文化も言葉も異なる人々と最貧困の生活を共に始めた。そして、ゴミ拾いだけが日課だった文字さえ知らない子供たちに、読み書き、外にある世界のこと、花の美しさや海の広さを、一つひとつ根気よく教えてゆく。

イスラム圏のスラムに一人飛び込んだ、孤高のカトリック・シスターの活動は、だんだんと人々に知られるようになり、9年後には福祉協会asmae(今日のシスター・エマニュエル協会)を設立。寄付や現地政府の援助も得られるようになり、今日その地区には学校も病院も建ち、電気も水道も使えるようになった。


最初の印象についてお聞かせください。怖れや不安はなかったですか。

初めてスラムに着いた時の私の印象は悲惨なものでした。腐ったトマトを拾って食べる子供に、母親が「この子は慣れていますから」と……。その光景、悪臭、衛生状態、それはとても大きな衝撃でした。でも、彼らがこの現状に耐えられるなら私も耐えられるはずだ、と。今日、私はあの場所に、また、そこで彼ら彼女たちと過ごした日々にとても深い愛情を感じています。


「貧しきものに福音を学んだ(Les pauvres m’ont évangérisé)」と著書に記されていますが、スラムのような非常に厳しい状況にある人々から、生きる喜びや楽しさを教えられるというのは、どういうことでしょうか。

貧しい人々が、人に信じる心を思い出させ、善に向かわせるのを私はこの目で見ました。ほとんど何も持たない彼らは、それだけ心が広い。人は物を持ちすぎると、持たない人の気持ちが分からなくなります。私はあの地で、喜びと満足感を彼らと分かち合いました。それに彼らにはユーモアがあります。過酷な状況にあるからこそ、物事の良い面を捉えることが出来る。そうしたほうがきっと、苦しみに耐えられるからでしょう。


周囲の心配に押され、85歳にしてやむなくフランスへ戻るまで、シスターはそこに暮らし彼らの苦しみを分かち合った。22年もの間だ。帰国後、今度こそ隠居し静寂の中で祈りに全てを捧げようと思っていた彼女は、ある日若いホームレスの死に直面する。

「『こんなことを放って置いて良いのか、自分は温かなベッドにいて、若者がこんな死に方をしているのを、エマニュエル!』と怒りがこみ上げた」(「Chiffonière avec les chiffoniers」1977年éditions ouvriéres出版) フランスには、カイロのスラムとはまた違う、孤独という不幸があった。結局、全く休むことなくフランスでも貧困層の救済に尽力し続ける。


他人を愛するとはどういうことでしょうか。愛情は相手に伝わるものですか。

私は、愛とは与えれば返ってくるものだと思っています。ですから、世界中の誰もが愛される対象になるはずです。先日、極悪犯罪人の弁護士が私に話してくれました。

「今年も大量のクリスマスカードを受け取ったが、手元には一枚しか残さなかった。『あなたは、私の中にまだ善があることを見つけてくれた世界でたったひとりの人です』 と記された、弁護をした犯人からのものです」

愛情を伝えるには、まずその人の瞳を見つめて愛おしさを伝え、その人の話を意見せずにきちんと聞くことです。その人がどんな状況下にあっても、あなたは無用の存在ではないと感じてもらうことです。


お墓には、《Elle a vécu.(彼女は生きた・体験した)》と刻印して欲しいと著書に記されていますが、vivre(vécuの原動詞)とはどういう意味ですか。もう一度生きるなら、どんな人生を選びますか。

私にとって、vivreとは愛することです。愛は、全てに喜びをもたらします。ルルドのベルナデット(*フランス南東部lourdeで奇跡のマリアの顕現を受け、死後列聖された少女)の言葉にあるように、《il suffit d’Aimer.(愛すれば十分)》なのです。もう一度人生が始まるなら、私はまたあのスラムで生きたい。彼らと苦を分かち合い、彼らを愛したあの年月は、私の人生で最も美しい日々でした。


「私が人生で好きなのは “真実であるもの全て” 。
嫌いなことは “偽善” です」

「苦しむ人々と苦を共にし、愛する」という真実を、生涯貫き通す彼女のこの言葉は「あなたは“本当” を生きているか?」という問いかけのようだ。

子供たちは、シスターに連れられ初めてスラムを出た。生まれて初めて花を摘んだ子供は、小さな手にぎゅっと花を握りしめて宝物のように胸に引き寄せた。ナイル川に行った川も海も見たことがない子供は、「海だ、海だ!」と眼を輝かせ、両手を挙げてまっしぐらに駆け出した。

ゴミ溜めしか知らなかった子供たちにとって、世界は、どれほど美しく感じられたことだろう。子供たちの輝く表情を想像する。ゴミ溜め場から外の未来に子供たちを連れ出すことに、22年を捧げたシスターの愛の深さを想像する。ひとりの人間が出来ることは、たとえ世界を変えることが出来なくても、こんなにも尊い。

シスター・エマニュエル(Soeur Emmanuelle)
1908年11月16日 ブリュッセルの裕福な家庭に生まれる。(母・ベルギー人、父・フランス人)
6歳の時、一緒に海水浴をしていた父が溺死。
1931年(23歳) 哲学・宗教学の学生としてパリやロンドンを旅行し、ダンスをたしなみ劇場にもよく足を運ぶ華やかな青春時代を送る。しかし、何か満たされないのは「自分のためだけに生きているからではないか」と考えぬいた末、修道会への入信を決意する。
1931〜1970年(23−62歳) シスターとして、トルコ、チュニジア、エジプトで文学を教えながら、現地の恵まれない人々の援助活動に奉仕。
1971年〜(63歳) 教師終了の年に単身カイロ近郊のスラムに入り、社会の最下層に追いやられた人々と共に暮らす。ゴミの収集以外に生きる術を持たない子供たちの教育、医療環境、衛生面の向上に尽力。
1980年(72歳) シスターの活動にエジプトや欧州の政府などが注目し始め、サダト大統領夫人の名を冠した施設(病院・産院・幼稚園・作業所・社交所)がスラムに開設。
1980年(72歳) シスターの活動にエジプトや欧州の政府などが注目し始め、サダト大統領夫人の名を冠した施設(病院・産院・幼稚園・作業所・社交所)がスラムに開設。
福祉協会 asmae(les amis de soeur Emmanuelle)発足。
フランス国家の功労賞( l’Ordre du Mérite )受賞。
1984年 カイロ近郊のスラムの学校の生徒数が400人を超える。
1986年〜 asmaeがエジプトだけでなくスーダン、リビア、セネガル、フィリピン、ハイチなどに活動の場を拡大。
1991年(83歳) カイロ近郊スラムでの暮らし20年目の功績から、エジプト国籍をムバラク大統領夫人より授与。
1993年(85歳) 高齢のため健康を懸念する周囲の要請を受け、エジプトを後にしフランスへ帰国。
ベルギー・レオポルド勲賞(l’Ordre de Léopold )受賞。
1995年(87歳) 医学功労金賞(Médaille d’Or de l’Académie de Médecine)受賞。
レジョン・ドヌール勲章5等(Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
1998〜2003年 asmaeが南仏・フレジュスでホームレスの支援活動。
2003年(95歳) レジオン・ドヌール勲章3等(Commandeur de la Légion d’Honneur)受賞。
2006年 asmaeが、パリ郊外・ボヴィニーに貧困シングルマザーの受入センターを開設
2008年1月(99歳)レジオン・ドヌール勲章2等(Grand-Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
《2007年12月発行「Journal de Dimanche」紙の著名人人気リストでは、1位ヤニック・ノア(歌手で元テニス選手)、2位ジダン(元サッカー選手)、3位ミミ・マティ(女優)、4位シスター・エマニュエル》

 

asmae - Association Soeur Emmanuelle
(シスター・エマニュエル協会)

シスター・エマニュエルが1980年に設立した団体はasmaeという。現在フランスと海外7カ国(フィリピン・エジプト・インド・スーダン・マダガスカル・レバノン・ブルキナファソ)で活動。貧困層の子供を主な対象とし、教育と医療の向上を目的としている。シスターの「人にはそれぞれ“信条”という秘密の花園がある。それは聖なるものであり、私が干渉することではない」という意志から、設立者がカトリックの修道女ながら非宗教団体である。現在asmae代表を務めるトゥラオ・ギュイエン氏に伺った。


代表に就任されたいきさつは。

私は11歳の時にベトナムからフランスへ来ました。エンジニアとして会社勤務をし、定年退職した頃にシスターととある夕食会で出会ったことが、この協会のボランティア参加のきっかけでした。当時も今も、「恵まれない子供たちのために何かを」という気持ちがモチベーションであり、協会はシスターが始めたさまざまな活動を存続・拡大させていく任務を負っています。

今まではシスターの知名度で多くの寄付が集まりましたが、今後は活動の質の向上と共に、私たち自身でasmae の広報活動をしていかなくてはいけません。

asmaeの活動の対象はなぜ子供なのですか。

貧困や社会の不公平の一番の被害者が子供だからです。また、子供の教育や医療なしに、その国の未来の担い手は存在しないからです。

現地ではどのような活動をされていますか。

あくまでも、現地に生きる彼ら自身の力で状況を改善していってもらうことが目的なので、私たちの役割は最初のきっかけ作りです。「寄付金で何かをあげる」というのではなく、現地でのパートナーと生活を共にしながら協力し、状況を分析しながら対策を考え、実行の後押しをする。そのために必要な施設を建てることはもちろんありますが、活動が軌道に乗ったら彼らに任せ、私たちは撤収します。

asmaeでは、年間150人もの若者をボランティアとして海外の現場へ送っているそうですが、ボランティアになる資格は。

動機や意志、健康については大変厳しい選考を行いますが、特別な専門スキルは問いません。誰にでも何か出来ることはあります。現場から戻ってくる彼らの多くは、何かを見つけたような、ボランティアに行く前とは異なる表情になっている。誰かのために手を差し伸べることは、自分自身のためにも何かをするのかもしれません。

収入はどのように得ていますか。

2006年の例では、62%が個人からの寄付(内13%が遺産贈与)、17%が企業や財団からの寄付、10%が公共援助です。シスターのメディアでの露出度が下がると、寄付額は低下しました。

個人の気持ちで世界を変えられると信じますか。

この世界にはあまりに多くの不公平があり、それを変えようとするのはむなしいことに思えます。でも、大きな変化も最初は必ずひとり、またはとても少数の人間が起こす行動から始まって行くのも事実です。

ひとりの人間は、大きな海の一滴のしずくでしかなくても、大洋はしずくの集まりなのではないでしょうか。

 

シスター・エマニュエル協会

  • 設立:1980年
  • 設立者:シスター・エマニュエル
  • 活動目的:貧困・孤立状況にある子供の支援に対する教育と医療環境の改善
  • 活動手段:財政面援助、専門分野機能の改善支援、現地での生活支援活動、現地事業(学校など)の後援
  • 活動範囲:フランスを含む世界8カ国
  • ボランティア数:74000人
  • 年間予算:約3600万ユーロ(2006年)

寄付・ボランティア参加などの問い合わせ先
Asmae-Association Soeur Emmanuelle
26, bd de Strasbourg 75010 Paris
TEL :
01 44 52 11 90
www.asmae.fr

また、本もありましたので興味のある方はこちらもどうぞ↓。リンクの表示がヘンですが、、、
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4789606171?ie=UTF8&tag=abcnt-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4789606171">裸足の老修道女</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcnt-22&l=as2&o=9&a=4789606171" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />


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夏至!キャンドルナイト!

しまった。今日は夏至。キャンドルナイト!
即効キャンドルに切り替えスパイシーなジャズか大人系のボサノヴァでもかけてみる。
湿気を含んだ夏の夜にキャンドルの灯りはいい感じ。

実行委員会の皆さんの努力のおかげで定番化した感のある夏至のキャンドルナイト。
この日にやりそこなうと1年間気持ち悪くすごさなきゃいけなくなりそうなほど
私の中では定着しました。
今後は毎月何日はキャンドルナイトってしたいです。
だってやっぱりみんなが同時に平和や豊かさを想う力が
きっと未来のいい方向へのパワーになると思うから。
スローで不便ななかにある幸せというものも味わえる余裕は絶対必要。
(↑コートダジュールでは毎日これができないと即不幸)

今後の課題は日本人全員がPCとケータイの電源を2時間だけ切って
コミュニケーション(特に自分との!)について考えるムーブメントかな?
日本経済は大変なことになるだろうけど、日本の労働者の心は蝕まれすぎですからね。

20時から22時まで都市部のモニュメントの電気を消すだけで
一般家庭の1年分の電力を節約できるんですって!たった2時間で1年分って!!
100万人のキャンドルナイトのサイト
トップの写真も毎年楽しみです。

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「コートダジュールの休息」最終回

突然ですが「廓然無聖」この言葉に出会ったので、
今日でこのブログを終了したいと思います。(エイプリルフールではなく(笑))
この言葉は「かくねんむしょう」と読みます。
ほっとする禅語70」の58ページにて正確な意味をご確認ください。
およその意味は雲ひとつない青空=仏教の教えの基本の状態だそうです。

「なんにもない。」
それは私がジュアンレパンに来てまず最初に発した言葉でした。
その後もことあるごとに「なんにもない」を繰り返して、
時に憤慨し、時に絶望し、あまりの「なんにもなさ」に涙したこともありました。
しかしそれは物質的に豊かなニホンから来てしまったが故の
自分本位な尺度(快適さや豊かさ、幸せを測るための)であったため、
周りに共感してくれる人種もおらず、
ただひとりコートダジュールの「なんにもなさ」に空回りしておりました。
やがて「なにもない」ことを共感して欲しくて、
ストレス解消のためにブログを書き始めたのでした。

ブログをはじめたのは今から3年前の2006年4月1日。
当初は住まわせていただいていた部屋でネット接続ができず、
知人からいただいた中古PCで原稿を書いてはUSBに移し変えて、
せっせとネットカフェに狡牟亅瓩靴藤妝个垢襦⊆蟯屬里かる作業をしていました。
ネットカフェったってニホンのそれのように設備がいいわけでわないので、
常にドロボウに気をつけ、大声でスカイプで愛を語り合ううるさいお隣さんや、
夏にはアラブ系独特の体臭にむせびながら、割高なネット料金を払いつつ、
なぜかこの環境には文句もいわずにがんばってました。
それほど愚痴りたいことがてんこ盛りだったんですね〜(笑)。

でもコートダジュールでの日々の暮らしの不満を書き連ねるうちに、
あばたもえくぼ、嫌い嫌いも好きのうち、
いつしかジュアンレパンは私の愛すべき存在、
私をそのまま受け入れて、癒し、励まし、ここちよく肌をなでてくれる
欠けがいのない存在になりました。

juan-les-pins

そしていつのころからか、
日本(とりわけトウキョウ)とダジュール(とりわけジュアン)での生活で
なぜこんなにも幸福度が違うのだろうと考えるようになりました。
トウキョウとは比べ物にならないほど不便なコートダジュールでの生活。
あらゆるモノの種類が少なく、あらゆる選択の幅が著しく狭いのに、
なぜトウキョウで得たことのない幸福感に満たされた日々を過ごせるのだろうか?と。

その答えが「廓然無聖」という言葉に出会って見つかりました。
廓然無聖は仏教の最高の到達点。
それは狎弔澄み切ったカラっと晴れ渡った空、
なにもなさ過ぎて聖さえ存在しない程に澄み切った空
修行とは何かを身につけるのではなく
何もいらない、何も持たない状態を身につけることだそうで、
私にとってはそれがジュアンーレパンだったとわかりました。

素敵なギャロップビーチ

初めてジュアンレパンに降り立った日に
私が言い放った「なんにもない」は
そっくりそのまま3年後の私に返ってきました。
求めていた答えを携えて。

私が探していたものは晴れ晴れとした「無」の状態。
何もないのに全てある状態。
そこにいてただ幸せを感じるのは「何もない」からだったとは。

思えば最初の瞬間から「すべてあった」のですね。
そのことに気がつくまでにずいぶん時間がかかってしまいました。

私のなかで全ての謎が解けて、全てを納得できました。
言葉で上手く説明できませんが、
これまでのなにか全てがストン!と腑に落ちたのでこのブログは終了します。

今までこんな独りよがりのブログに遊びにいらしてくださった皆様、
ありがとうございました。
コメントを送ってくださった皆さま、全員に返事がだせなかったこと申し訳ありませんでした。貴重なご意見や情報、とても参考になりました。ありがとうございました。
ブログを読んで連絡くださった皆様、ありがとうございました。お会いできるなんて本当に奇跡!ブログをはじめてよかったと心底思いました。
文化放送ミュージックトリップのスタッフの皆様、
螢┘縫哀癲.丱ぅ浣娠追瑤粒様、
螢潺轡渕 三島様、他、
このブログを通して出合ったすべての方々にお礼申し上げます。

そして最後に全てを運んできてくれた奇しくも天使と同じ名前のガブリエル。
心の底のもっとも〜っと底のほうからありったけの愛と感謝の気持ちを送ります。
Merci beaucoup!
abcntのネクストステージは別ブログで始まっています。
ブログ名、名前は秘密ですが、
どこかで「あれ?この人abcntでは?」というブログを見つけたら、
コメントくださいね。
ではまた。どこかでお会いしましょう♪
皆様それまでお元気で!!
Au revoir!


ぜひ一度、絶対に絶対にコートダジュールの小さなリゾート、ジュアン・レ・パンにいらしてみてください。最後に応援クリックもよろしく →→ 人気ブログランキング
尚、ブログの更新は本日をもって終了(卒業?)しますが私個人のコートダジュール便利メモ、コスメメモでもあるので、アカウント等は存続し、追加記入する場合もありますのであしからず。

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香りのデータベース

毎年グラースで開催される国際アロマテラピーシンポジウム。
第10回目の今年は4月11日から13日まで。
10ème Symposium International d'Aromathérapie et Plantes Médicinales


ACPHYTAROMAではさまざまな香りのデータベースを発売しています。
お試し版もあるので内容を確認できますね。
1051, Avenue de la Plantade
06530 CABRIS - FRANCE
Fax : + 33 4 93 60 55 87
Mail : acphytaroma@online.fr


日本語版はフレグランスジャーナル社で取り扱ってます。

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祝ボンドガール オルガ・キュリレンコ

かなり以前にフランスのコーヒーのCMモデルさんがとても素敵という記事を書き、
rico様よりそれは「オレガ・キュリレンコ」さんではないか?と
情報を寄せていただいたおかげで、
「オレガ・キュリレンコ」で検索かけた方がたくさ〜ん
このブログにいらしてくださっていたことが判明しました。

彼女はメイクや役でまったく見た目や雰囲気が変わってしまうタイプのモデルさん。
しかもまだ日本では画像が少なくていまいち自分のなかで
「あのCMのモデル=オルガキュリレンコ」であるという確信がもてなかったのですが、
最近改めて調べてみたら、日本でも主演映画がDVD化されてたり、
2008年も映画に出てたりしてすっかり狃優さん瓩砲覆辰討り、
画像も動画も充実、やっぱり彼女だと確認できました。
(rico様ありがとう!)

Youtubeでその超素敵なカルトノワールのCMを見つけましたので
「OLGA KURYLENKO - Carte Noire 」で探してみてください。

ついでに私の中の彼女のイメージに一番近い!と思ったケンゾーパルファンのCM。
こちらも「Kenzo AMour」でようつべ検索してみてください♪

セクシーな面もナチュラルな面も突き抜けて素敵。
でもどっちに傾いても完璧以上に演じることのできる不思議な女性。
2008年はいきなり(?)ボンドガールに大抜擢!でますます目が離せません!

         
007で世界に名前を売り、次にいい監督&良い作品で一気にオスカー狙いか?!
日本ではとりあえずこの映画が代表作。
     
 
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フランスからのプレゼント、、?

あきらめていたフランスからの荷物が届きました!

昨年10月にアンチーブの手つきがあやふやなおっさん郵便局員に頼んだ「書籍郵便」。
(書籍に関してのみ特別に安い料金で送れる国際郵便。ものすごく安い分、到着までの期間が明確でなく、ニホンからは1〜2ヶ月程度、フランスからでもタイミングによって1〜3ヶ月程度を目安に利用しています。)
2ヶ月経ち、3ヶ月経ち、、、「あれ?まだ?」と気づいたのは結構最近(笑)。

それよりも1週間ほど後にジュアンレパンの小さな郵便局から送った書籍郵便は
発送から2〜3週間以内に届いてびっくり♪したので、
ほんっとーにタイミングによるところが大きいのですが、
とにかく本の移動が多い私には重い書籍が安く送れるのでなくてはならない存在です。

しかし、アンチーブから送った分は一体どこへ、、、、?
そんな嘆きの記事を書いた矢先にそれを聞きつけたかのように荷物が届いていました。
発送日は10月8日。
4ヶ月と1週間程度かかりましたが、とってもキレイな状態でした。

あの時期はフランスの大ストライキ(11月)にかかっていたので、
この子達(荷物2つ)だけが上手くフランスを脱することができず
足止めされてたのではないかと思います。

しかし自分で送ったとはいえ4ヶ月も経つと中に何を入れたか忘れてて、
ちょっとしたタイムカプセル状態。
思いがけないサプライズプレゼントになっていました。
「ただの荷物をプレゼントにしてくれた」フランス郵便局に感謝すべきでしょうか?

ただ大事な荷物や高価な本などはこの「書籍郵便」では送らないので中身は必然的に
「ぜひ持って帰りたいけど、なくても問題なく生きていける」ものばかり。
それに最近はフランスの書籍もアマゾンなどで難なく手に入るので、
ネットで買えない、日本で手配できないレベルのものとなると、、、
結構くだらないものになっちゃうんですよね(笑)。
プライベートジェットの雑誌とかクルーザーのカタログとか
SEABOB(次回でご説明予定)のカタログとか、、、、、。


世界のあちこちで30数年後に届いた手紙、、、とかニュースがありますよね?
そういう話はロマンチックで好きですが、
今回の私の荷物が30年後に届いても
「くだらねー!」の一言で終わっちゃうところだった、、、、
だからとりあえず届いてよかったです。

前回コメントくださった方々の荷物も無事届きますように。。。
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